五・一五事件 二・二六事件
https://www.youtube.com/watch?v=ZKUhA0RYabU
背景
世界恐慌
災害が多く農家は貧しかった
1930 濱口首相遭難事件
1931 軍部のクーデター三月事件・十月事件
ロンドン軍縮会議では軍艦が減って海軍が不満を持った
関東軍が満州国を作った。犬飼の姿勢に怒った海軍将校が
首相官邸で犬養毅を殺害
日本銀行襲撃
警視庁襲撃
これが五・一五事件
18人が自首。実行犯は死刑
量刑を軽くする署名が100万集まり減刑になった
このように相対的に軍人が人気だったので、次のリーダーは軍人になった
陸軍の中には2つの派閥があった
皇道派
日本をぶっ壊す!
天皇を中心にして軍人が治める国を作りてえ!!
統制派
適当なポストに軍人がいればいいや
陸軍は統制派優位で皇道派を追い出した
皇道派の相沢三郎が怒って統制派の永田鉄山を斬殺した(相沢事件)。銃殺刑
皇道派が盛り上がって危険なので規制派は皇道派を送ろうとした
皇道派はクーデターを試み、1500人の兵を連れて
首相官邸
新聞社
警視庁
を襲った(二・二六事件)
岡田啓介と間違われて弟の松尾伝蔵が、高橋是清、斎藤真、渡辺錠太郎など9人が殺害される
皇道派は永田町、霞ヶ関、赤坂、三宅坂を占領
昭和天皇がキレて陸軍に治めるように指示したが、陸軍は内部で戦うのが嫌がった。天皇はじゃあ俺がいくわとなった。陸軍は皇道派に降参を促し、行動派は投降、首謀者は死刑。
広田弘毅が首相になり思想犯保護観察法を作った
政党政治から軍国主義へ変わっていった